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お知らせ・日記

八幡宮神社大祭2022
2022.09.12
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社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、対馬の清水山に行啓し、この山は神霊が宿る山であるとして山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀ったという。677年(天武天皇6年)[1]、天武天皇の命により清水山の麓に社殿を造営して八幡神を祀ったのに始まると伝える。 1476年(文明8年)の棟札写に「それ当社はすなわち州の男山の原廟にして万世鎮国の霊神なり」とあり、八幡信仰の中心である石清水八幡宮の起源ともいわれている[1]。

対馬には上県郡と下県郡に八幡宮があり、上県郡のものを上津八幡宮(現 海神神社)、下県郡の当社を下津八幡宮と並び称した。戦国時代ごろから府中八幡宮と称されるようになった。

1871年(明治4年)、当社が式内名神大社「和多都美神社」に比定されて和多都美神社に改称し、また対馬国一宮であるとしたが、1890年(明治23年)に元の八幡宮に戻して地名から「厳原八幡宮神社」とし、現在は式内社・対馬国一宮と称していない[2]。明治7年に郷社に列せられ、1916年(大正5年)に県社に昇格した。